« 2010年8月 | トップページ | 2011年4月 »

2010年12月

マナーの流儀

 電車の中では、よく小さな人間ドラマが見られる。それもそのはず、あの狭い空間に不特定多数の人間が詰め込まれて時間を過ごすのだからハプニングが起こらない方がおかしいというものだ。騒動が起こるのはたいてい公共の場におけるマナーを守らない輩がいるからなのだが、ぼくが遭遇したシーンはちと変わっていた。
       ◇ 
 電車に乗ると、平日の昼間だったこともあり、けっこう空いていた。ぼくは優先席に座った。席は他にもかなり空いていたので、もしお年寄りが乗ってきたら譲ればいいやと思っていた。
 駅に停まるたびにパラパラと人が増えてきて、とうとう優先席も一杯になってしまった。携帯をいじっていると、次の駅で“The お年寄り”的なよいよいの爺さんが乗ってきた。よくいるでしょ?赤べこみたいに頭がカクカクしちゃってる爺さん。

Photo もう立ってるだけで拍手してあげたくなるような状態だったので、すかさず席を立つと、爺さんは力士が懸賞金を受け取る時のような仕草で腰掛けた。

 爺さんの前に立って携帯をいじっていると、
「・・・その・・・携帯を・・・」
 ん?どしたの?と思って耳を寄せると、
「ペ、ペ、ペースメーカーが・・・」
と言う。その瞬間、慌てて携帯の電源を切った。一連のやりとりを見ていた爺さんの隣の大学生風も、おばさんもそれまでいじっていた携帯の電源を急いで切った。
 よく車内のアナウンスで「優先席付近では携帯の電源をお切り下さい」と言われるが、実際に優先席付近で電源を切っている人を見たことはないし、「ペースメーカーを使っているから電源を切ってくれ」と主張している人を見たこともない。自分も今まで平気で使っていたが、ことは命に関わるのだから、ここは当然電源を切る。
 ぼくは後ろを振り返って、携帯をいじっている営業マン風の男及び周囲の乗客を見回して声高に言った。
「あのー、すみません。こちらの方がペースメーカーをご使用になられていらっしゃるので、携帯の電源を切っていただけますか?」
Pacemakerl_2
 何分、不特定多数の見知らぬ方々に話しかける機会なんてあまりないので、緊張して敬語が過剰になって最高敬語みたいになってしまう。
 ともかく、そう言った途端、半径三メートルぐらいまでのほとんどの乗客が携帯を取り出して一斉に電源を切る様は圧巻であった。さしづめ水戸黄門の印籠のような圧倒的な威光。
 それまで静かだった車内が騒然とし、中には
「本当にいるんだねー。ペースメーカーの人って」
「どれどれ見たい、どこにいるの?ペースメーカー」
なんて若い女の声も聞こえてくる。マラソンの先頭ランナーみたいなのを想像しているのではないかと心配になった。
Photo
 ともかく、一件落着。みんなマナーを守る良識人ばかりでよかった。と胸をなで下ろしてしばらくすると、
 プルルルルルルルルル、プルルルルルルルルル、
 明らかに携帯の呼び出し音だ。しかもデフォルト設定の耳障りな音が大音量で鳴っている。 
 ぼくも周囲の乗客も一斉に辺りを見回して、不埒な犯人を探し出そうとする。みんなが一致団結して爺さんに配慮しているというのに、まだ電源を切ってない奴がいたのか。そう思ってみんな鋭い目つきで犯人探しをしているのだが、どうも音が近い・・・嫌な予感がした。
 当の爺さんはジャケットの内ポケットにゆっくりと手を差し入れると、鳴っているラクラクホンを取り出して通話ボタンを押した。
「おどれかい!」
 その瞬間、車両中の乗客がずっこけたのは言うまでもない。
 そして一同、固唾を呑んで見守る。この状況にどう落とし前をつけてくれるのか、「みんなお前のために我慢して手持ち無沙汰だったんだぞ」と無言の圧力がかかっている。
「・・・もしもし」
 どうも爺さんはラクラクホンは問題ないと思っている節があり、何ら悪びれることなく話を続けている。
 次の瞬間、それまで自重していた乗客たちが一斉に携帯を取り出して、メール、ワイヤレスヘッドホンの使用、ネット経由で動画再生、ポータブルゲーム機によるネット対戦と思い思いに電磁波を飛ばしまくる様は痛快だった。

| | トラックバック (0)

« 2010年8月 | トップページ | 2011年4月 »