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2011年4月

サタンの力

「音の出なくなったコンポ、ラジカセ、テレビ、映らなくても結構です。そのほか自転車、バイク、なんでも結構です。ご不要になった品物を無料で引き取らせていただきます。また、わからないことがあればご質問ください・・・」
 廃品回収の車から流れる舌っ足らずな女の声で目が覚めた。まどろみから目覚めたツクルが最初に目にしたのは、枕の上にできた楕円形のシミだった。起き上がると唾液が細い糸を引いて切れた。
  ベランダに出ると、コンクリが日に焼けてめっぽう熱い。真夏の紫外線が坊主頭にじりじり染みる。
  冷蔵庫から麦茶の紙パックを取り出し、そのまま口をつけて飲む。汗ばんだ首筋を麦茶が伝い落ちるままテレビのスイッチを入れる。失業中で暇なのだ。テレビを見ると言っても、決して楽しんで見ているわけではない。液晶画面越しに毎日飽くことなく繰り返される芸も能もない人たちの痴態を眺めているだけだ。暇潰しにすらならないことに気づいて、テレビを消した時、チャイムが鳴った。
 魚眼レンズ越しに女が二人立っているのが見える。玄関前の通路は北西に向いていて薄暗く、女たちの風体はよくわからない。
「なんでしょう?」ドア越しに訊いた。
「お休みのところ申し訳ございません」
まず名を名乗れっちゅうんじゃ。
「どなたですか?」
少し強い口調で言ったのだが、相手はツクルの言葉を無視して話し始めた。
「最近、世界規模で新型インフルエンザが猛威を振るってますね」
「はあ」
「イスラム諸国では自爆テロや紛争で毎日のように大勢の方が亡くなられてます」
「ええ」
「こういったことについてどのようにお考えでしょうか?」
「・・・」
 ははーん。ツクルは顎の無精ヒゲを撫でながらほくそ笑んだ。まず十中八、九、新興宗教の勧誘に違いない。が、失業中のヒマ人にとっては平素ならやっかいな訪問者も貴重な暇潰しの相手になる。ツクル自身は完全に無宗教だが、カルトに引っかかってしまう人間の病理には前々から興味があった。
「ちょっと待ってください」
  トランクス一丁だったので、その辺に脱ぎ散らかしてあったTシャツとショートパンツを着てドアを開けた。
「こんにちわ」女たちが声を揃えて言ったのと同時に、コンクリートの通路を通った冷気が部屋の中に吹き込んできた。
  手前に五十前後のおばさんが立っている。レースの刺繍が入ったブラウスのボタンは一番上まで留めてある。ハンドバッグも帽子も全てが白かオフホワイトで頭から爪先まで色らしい色がない。一歩引いたところで立っている二十代の女も似たような格好だった。二人ともどことなく面立ちが似ている。若い女はツクルと目が合うと微笑んだ。
「お休みのところすみません。今、お時間よろしいでしょうか」おばさんが言った。
「いいですよ」
「新型インフルエンザ、大変なことになってますよね」
「ええ、まあ」
「それだけじゃありませんね。世界各地で戦争や民族紛争が続いています。地球温暖化も一刻の猶予もないところまで来ています。このような世の中の状況についてどのようにお考えでしょうか」
  しかし、いきなり深いトコ突いてくるなぁ・・・。
  後ろの若い女はどうも見習い中のようで、話に参加する様子はなく、背筋を伸ばして立っている。年頃の女にありがちな浮ついたところがなく、持続可能な皇室スマイルを浮かべて。
「どのようにって言われても・・・ま、よくそういう悪い要素ばかり取り上げて、世も末だとか、今に取り返しのつかないことになるって、不安を煽るような報道がされますけど、ぼくは全然悲観してないですよね。昔から大災害や戦争はあったけど、何とか乗り越えてきたじゃないですか。大体ね、地球なんて二度の全球凍結をくぐり抜けてるんだからもう怖いモノなんてないですよ。いいことも悪いこともあるんじゃないですか、いつの時代にも」
あらまあといった顔でおばさんは目をしばたたかせた。ツクルは続けた。
「仮にね、万が一、世の中が上を下への大騒ぎになったりしても、今ぼくは三十過ぎて失業中だし、このままいくとワーキングプアで完全な負け組なんですよ。だから、不謹慎かもしれないけど、むしろ世界の秩序が混乱してくれた方が浮かび上がれるチャンスができるかも、なんて思ってるぐらいなんです」
おばさんは笑みを絶やさない。
「・・・なるほど。でも、世の中もう少し暮らしやすくならないかな、とか、もっと平和になったらいいのに、なんて思うことはありませんか」
若い女の後ろで隣の部屋のドアがわずかに開いた。隙間から怪訝な目つきで様子を窺っている住人が見えた。ドアはすぐに閉まった。独身の老婆で何かと口うるさい要注意人物なのだ。ドアには「訪問販売・セールスお断り」と朱書きされたプレートが貼ってある。
「それはもちろんありますよ。ぼくだって決して今の世の中が素晴らしいと思ってるわけじゃないですから」
おばさんは満足そうに頷いた。
「そう、そうなんですよね。みなさんそうだと思うんです。一体どうしてこんな世の中になってしまったんだろうって思ってらっしゃるはずなんです。ところが、世の中がこんな風に大変な状況になることは、今から二千年も前に聖書の中で予言されてたんです」
おばさんはハンドバッグの中から手のひらサイズの冊子を取り出すと、ページをめくった。
それとなく覗き込むと、無数のアンダーラインや書き込みがされており、そんな箇所が多すぎてマーカーの効果のほども怪しいといった有様。
「ちょっと読ませて頂きます。『世界に争いが満ち、疫病が蔓延し、不正が横行する。人々は希望を無くし、自ら命を断つ者も至る所に現れるであろう。金が至上の価値を持ち、それに振り回されて最も大切なものを見失う』・・・この記述についてはどう思われますか?」
ツクルは苦笑した。抽象的過ぎていつの時代にも当てはまるような内容だからだ。
「どう思われますかって言われても・・・解釈の問題ですよね。それが今の世相を正確に言い当てているかは何とも言えませんけど、そうやってまだ起きていないことを『観て』しまうサイキックな人っていうのはいると思いますよ」
女たちは示し合わせたようなタイミングで頭を下げた。
「ありがとうございます」
ツクルはなんで礼を言われたのかわからなかった。
「そもそもぼくはそんなに今の世の中が悪いことばかりだとは思わないんです。今、災厄だと思われていることが後になってみたら、逆に起きて良かったなんてこともあるんじゃないですか?時間の流れの中で複雑に絡まりあって起こる出来事を個別につまみ上げて善悪を論じるのはナンセンスだと思うんです」
おばさんは何も聞かなかったような顔で言う。
「こうした世界の惨状について、名だたる宗教団体の指導者たちは、『それも人智を超えた神の計らいによる試練だ』なんてもっともらしく諭してきました。でもそれは大きな間違いです。というのは、そもそも彼らの認識の大前提が間違ってるんです。ここにちゃんと書いてあります。『・・・この世界全土にあまねくはびこり、人心を惑わす。その名をサタンと呼ぶ』」
おばさんはドヤ顔でツクルを見た。どう?これが世の中で起きていることの真相なのよ、と言わんばかりだ。涼しい顔で反論を黙殺する態度も恐いが、現代に生きながらサタンの存在を確信している神経に驚いてしまう。
「そうなんです。世界を支配しているのは実は全能の神ではなくて、悪魔、サタンの方だったんです」
  中庭からセミの大合唱が聴こえてくる。おばさんが後ろを振り返った。若い女が慌てて持っていた冊子をパラパラとめくった。廊下からベランダへ風が吹き抜けた。窓際のカーテンレールに吊してある金管のウィンドチャイムが鳴った。
「・・・たとえば、風が吹くと風そのものは目に見えなくても、カーテンが揺れたり、木々がそよいだりして風というものが確かにあることがわかりますよね。それと同じなんです。サタンそのものの姿は見えなくても、世の中の惨状を見れば、確かにサタンが陰で糸を引いていることがわかります。だって、もし本当に全知全能の神が支配していたら、こんな救いのない世界にしておくはずがないじゃありませんか」
おばさんは暗黒の世界について説いている割には快活で目は輝いてさえいる。声を聴かずに姿だけ見ていれば、福音を伝えるまともな伝道者に見えなくもない。手で押さえていたドアが閉まりそうになって、崩れかけた姿勢を立て直した。片足に重心をおいた不自然な姿勢で立っていて、足腰が疲れている。それにしても、悪魔が支配しているとは聞き捨てならない。
「ちょっと待ってくださいよ。今、悪魔が世界を牛耳ってるって言いましたよね。でも、悪魔が支配してる世界にしては随分ぬるくないですか?けっこう平和ですよね、ここらへんなんか。昨日は町中で阿波踊りして浮かれまくってましたよ。もし、ぼくがサタンだったら、最初の六日間で破壊の限りを尽くして人間に必要なものは根こそぎ奪い去って、七日目にはさっさと悪の帝国を作りますけどね」
おばさんは頬を引きつらせて笑った。若い方は相変わらず皇室スマイルを崩さない。風が吹いて若い女の黒髪がなびいた。艶のある美しい髪だ。年頃の女子がこんなところで新興宗教の布教を手伝っているのが急に不憫に思えた。
「・・・それは、地球も広いですから場所によってはね・・・。日本はかなり恵まれてる方ですから。でも中東の方では毎日のように自爆テロが行われて、血で血を洗うような抗争があってまさに地獄絵図でしょう。日本にしたって自殺者が毎年三万人出るんですよ。これだけ豊かな国で単純計算で毎日八十人近くが自殺するんですよ、毎日毎日」
「・・・確かにね、表向きだけ見てもそこに暮らす人の幸不幸はわからないですけどね」
「ありがとうございます」
女たちはまたぺこりと頭を下げた。ツクルはやっと女たちがなんで礼を言っているのかわかった。日頃、話を聞くことはおろか、滅多に自分たちの意見に同調されない彼女たちにしてみれば、ちゃんと自分たちの言い分を聞き、時には共感してくれるのがよほどありがたく感じられるのだろう。 
  部屋の中を振り返り、壁掛け時計を見た。相手がまっとうな返答を寄こさず、すぐに曲解した聖書の引用で応酬してくるのがだんだん鬱陶しくなっていた。真面目な討論であればまだしも、一方的にイカれた人間の話を聞くのはしんどいものだ。
「・・・百歩譲って、その聖書の解釈が正しいとしてですよ。じゃ、そんな悪魔の支配する世界でぼくらはどんなふうに生きていけばいいんですか?」
「そうなんです。そこですよね。・・・でも、また続きも長くなりますので、よろしければこちらの冊子をお読み下さい。今日お話しした箇所は十一章に書いてありますので」
おばさんはハンドバッグの中から真新しい冊子を取り出すとツクルに手渡した。表紙には黒人、白人、ヒスパニック、アフリカ系、東洋人などあらゆる人々が花咲き乱れる丘で楽器を演奏したり、食事をしたりして和んでいる様子が劇画タッチで描かれている。
「ゆかりさん、集会案内持ってらっしゃる?」
若い女がバッグから紙を取り出してツクルに渡した。非信者も参加できる定例会の案内だった。
「いつも日曜日はご在宅ですか?」
あ、また来る気なんだ。
「いやー、半々ぐらいですかね」
本当はいつも部屋でゴロゴロしているのだが、そうそう頻繁に相手をしたくはない。話のネタにするにはもう充分すぎるほど話したのだ。
「今日は本当にお付き合い頂いてありがとうございました」
ええ、少し後悔してます。
「いいえ、どういたしまして」
ドアを閉めようとした時、背中を向けたおばさんの肩に何かが飛んできた。近くで鳴いていた蝉だった。
「あ、蝉が」
「え、え、どこかしら、ちょっと」
おばさんは急に取り乱して手で背中をやたらに払ったが、蝉はじっと肩口に止まっていて、あんまり動きがないのでブローチか何かのように見えた。ツクルはおばさんが気を動転させているのがおかしくてあえて助けようとはしなかった。おばさんが首を後ろにひねった時、肩にとまっている蝉に触れるほど顔が近づいた。おばさんは一瞬固まったが、目の前にあるものが蝉そのものであることに気づくと、飛び上がるようにして蝉を手で払った。
「もう、イヤ!」
コンクリの上でひっくり返った蝉がビビッと電子音っぽい音を立ててもがいた。間髪入れずおばさんのヒールが蝉を踏みつけた。何度も何度も。胴体から黄土色の体液が飛び出し、割けた羽根が散らばった。
「ちょ、ちょっと、人んちの玄関先を汚さないでくださいよ!」
「あ、ごめんなさい。でも・・・どうしましょう」
若い女が黙ってセカンドバックからポケットティッシュを取り出し、数枚重ねて死骸を取り除いた。
「これで大丈夫ですか?」
蝉の体液が染みとなって残ってはいるが、それは仕方がない。
「ええ。あ、それ、捨てておきますから」
女からティッシュの塊を受け取った。
「それではこれで失礼します」
おばさんが言うと、二人は来たときと同じように微笑みながら帰っていった。
  ツクルは言いようのない疲労感を覚えてベランダに出た。一体何をどうしたらサタンが世界を支配しているなどという幼稚な世界観を受け入れてしまえるのだろうか。新興宗教の信者になるような人は実生活でひどい災難や不運に見舞われた人が多いというが、そんなことでもないと受け入れ難い考えだ。
       ◇
 夜になって親しい女友達のマユミに電話をかけた。マユミは元職場の同僚で、SMクラブで働いていた経験がある変わり者だ。世の中を斜に構えて見て、いつも暇つぶしの種を探しているようなところがツクルに似ている。ツクルがマユミに電話をかけたのは、最後に会った時にこんな話を聞かされたからだった。
                ◇
 マユミが使っているのと同型の携帯が爆発する事故が海外であった。メーカー側の調査では爆発に至るような欠陥は把握できず、メーカー側に落ち度はなかったらしいのだが、万が一を恐れた携帯会社の担当者が電話をかけてきたという。
「・・・というような経緯がありまして、携帯電話自体に不具合は見つかりませんでしたが、万が一があっては困りますので、念のため機種変更をお願いしたいのですが」
「ば、爆発?穏やかじゃないですね。でも、あいにく機種変更するようなお金がないんです」
「いえ、もちろん私どもの都合で変えさせていただくわけですから、費用はこちらで負担させて頂きます。」
「でも、使い慣れてるし、面倒なんですよね。携帯ショップとか行くのも」
「それでしたら、こちらから担当者を伺わせますし、すぐにご使用になれるよう手配いたします。」
「至れり尽くせりですね。でも、この携帯が気に入ってるんです。それにいつ爆発するかわからない携帯持ってるってなんかある意味、ロックっていうかパンクですよね。かっこよくないですか?」
「・・・お客様に万が一のことがあっては困ります」
「その”お客様”が構わないって言ってるんです。どうせこの会話録音されてるんですよね。私、横田マユミは爆発する可能性を承知の上で、自分の自由意志によってこの電話を使い続けることをここに誓います。以上」
そう言ってマユミは電話を切った。もちろん実際に爆発するような事があっては先方も困るから、その後も電話はかかってきたらしいが、ことごとく無視したとか。
  ある日そんなマユミが帰宅すると、ポストに携帯会社の封筒が入っていた。わざわざ訪ねてきたらしい。付箋紙が貼り付けてあり、「何卒機種変更について前向きにご検討頂けますよう重ねてお願い申し上げます」と書かれていた。マユミはそれすら無視し、今日に至るまでほとんど意地になってその携帯を使い続けているという物好きな女なのだ。そのマユミならあの狂信者にどう対処するだろうか。それが訊きたかった。
       ◇
「久しぶり、元気?どうしたの?」
「どうしたってほどのことでもないんだけど、昼間さ、宗教関係の人が来て・・・」
ツクルは一連のやりとりをマユミに話して聞かせた。
 マユミはケタケタと毒気のある笑い声を立てた。何ヶ月も見ていない無邪気な笑顔が脳裏に浮かんだ。
「サタンの仕業だって言われた後でさ、『どうしておれがサタンだってわかったんだ?』って言ったら、どうなったんだろうね」
ツクルは件の信者を前にして、自分が精一杯深刻な顔でそのセリフを言ったらどうだろうかと妄想した。
「あはははは。それ、いいね。頂き。最高の切り返し方だよ。おれ、まっとうに話してたんだけど、ああいう人たちって教団の教えが絶対で自分の頭で考える習慣がないからさ、話はぐらかしてすぐ聖書の引用とかに話を戻しちゃうわけ。全然ディベートにならないんだよね」
「そりゃそうだよ。だって明らかに言ってることオカシイじゃん。目には目を、狂気には狂気を、だよ」
 ツクルは、奴らが次に来た時に是非それを使ってみようと思ってほくそ笑んだ。
       ◇
 当日は思いのほか早く来た。一週間後の日曜、また奴らがやってきたのだ。
「ごめんください」
「どなたですか?」
「先日はどうもお時間頂きまして。冊子の方はお読み頂けましたか?」
また名乗らない。今度は魚眼レンズ越しに見る二人がカモネギに見えた。笑いそうになるのをこらえてドアを開ける。
「どもども。読みましたよ。ざっくりですけど、斜め読みぐらいの感じで」
「では一般に広く普及している聖書の誤った解釈についてはもうご存じですよね」
教団側からすると、カソリックやプロテスタントといったメジャーなキリスト教の教えこそ、聖書を曲解しているというのだ。
「あの、信じるかどうかは別にして、あなた方の解釈がどういうものかというのはわかりました。」
「ありがとうございます。」
女たちは揃って頭を下げた。
「ただ・・・一つだけ解せないことがあるんです。」
そこでツクルはもったいぶって、眉間に皺を寄せて黙り込んだ。おばさんがツクルの顔を下から覗き込んだ。
「なんでしょう?ご不明な点があれば何なりとおっしゃってください。」
ツクルはおばさんを睨みつつ、出来得る限り凄みを利かせて言った。
「・・・どうしておれがサタンだとわかった?」
ウィンドチャイムがカランコロンと鳴った。遠くで幼児の泣き声が聞こえる。女たちはしばらく時間が止まったかのように動きを止めている。体の動きだけでなく、顔の表情、心臓の鼓動まで停止しているような案配だった。女たちは目をまん丸に見開いてツクルをしげしげと見つめた。
  おばさんは若い女の方を向くと、何度か頷いた。
 ツクルの脇の下を冷たい滴が伝った。
 おばさんが若い女の手を引いて無言で立ち去った。
 ツクルは女たちがいなくなるとドアを閉めた。締めた途端、腹の底から気泡が湧きあがるように笑いが込み上げてきて止まらない。ついにこらえきれなくなって声を上げて爆笑した。恐いような、おかしいような、そのいずれもが渾然一体となった気分だった。
「ざまあみろ。一撃で葬り去ってやったわ。このサタンを倒そうなどとは笑止千万よ」
 その日の晩、マユミに事の顛末を話して聞かせるために出掛けようとした時だった。ドアノブを回し、部屋を出ようとしたらドアに思いきり頭がぶつかった。ツクルは額を押さえながら鍵を外し忘れていたのかと思ったが、そもそも家にいるときに鍵を掛ける習慣はないのだった。再びノブを回してみた。確かにノブは回っているのだが、ドアが開かない。押せばわずかに隙間は開くのだが、微妙に反発する手応えがあり、それ以上開かない。まるで外から誰かが押さえているかのようだ。しかし、魚眼レンズから覗いても玄関先には誰もいない。ツクルは仕方なくシンクの上から身を屈めて裸足でキッチンの小窓をくぐり、裸足で外の通路に飛び降りた。
 玄関先に回り込んだ時、ドアの上から十字型にガムテープが貼り付けられ、壁面に留められているのが見えた。数秒間、呆然と立ち尽くしてから、ガムテープをはがし始めた。布製のガムテープでべったりと貼り付けられていて、テープを剥がすと表面のアイボリーの塗装まで一緒に剥がれた。結果、テープをすっかり剥がし終えた時にはドアにくっきりと十字型の痕跡が残ってしまった。解約するときに敷金の戻りが悪くなることを考えると、腹が立った。ガムテープを丸めながら部屋の中に入ろうとした時、階段の下からザッザッザッと大勢が上がってくる音が聞こえた。

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