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2011年5月

浪人と海

 沖縄出身のMから聞いた話。
 Mが高校を卒業して、「これから先どーすべ」なんて思いながらモラトリアムの日々を過ごしていた頃のこと。本土の大学に進学する者、とりあえず東京に出て仕事を探す者、地元に残ると早々に決めてしまった者など色々いる中で、Mも進路のことを考えていた。もとより仕事の少ない土地柄である。その頃ちょうど釣りにハマっていて、漁師になるのも悪くないと思っていたそうな。
 その日も米兵の息子Jと一緒に防波堤で釣り糸を垂れていた。ところが朝から一匹もかからない。そんな日もあるさ、と諦めて帰ろうとしていると、漁港の方からフラフラ歩いてくるオヤジがいる。全身から酒の匂いを漂わせながらやってきたオヤジは防波堤の反対側で長い小便をしてから二人の間に置いてあるバケツを覗き込んだ。
「こんなとこでチンケな釣りしよらんで、おれの船乗ればいいさ。売るほど釣れるぞ」
「おじさん、漁師か?」
「ああ、この辺でおれのこと知らんならモグリさ」
「何が釣れんね?」
「イカ釣りもやるしな、カジキ、イワシ、アジなんでもござれだ。バイト代もやる」
 二人は黙って目を合わせると頷いた。 
 オヤジは「もう一人助っ人がいる。紹介しとこう」と言って、港の端っこの方に歩いていく。そこには何年も前からそこに放置されていてタイヤも全てパンクしているボロ車があった。オヤジはボロボロに錆びた軽自動車のドアを荒っぽく叩いた。すると中からホームレスのおっさんが出てきた。
「Sさん、こいつら新入り。色々教えてやってな。」とオヤジがホームレスに言った。
ホームレスはMとJにぺこりと頭を下げた。
「お前らの先輩のSさんだ」
「なんて呼べばいいんですか?」とMがSさんに聞いた。
Sさんはもじもじしている。
「チーフでいいだろ。そういう言い方すんだろ?」とオヤジがJに言った。
「はぁ」とJ。
「ともかくよろしくお願いします」
 MとJもオヤジとチーフに頭を下げた。オヤジは漁師の中でもかなりアウトロータイプで、他の漁師たちとは連まなかった。本人の言うとおり、港で彼のことを知らぬ者はなかったのだが、それは凄腕の漁師だからではなくて変人として有名なのだった。廃車の中に済んでいるホームレスはもう何年も前からオヤジの漁の手伝いをしていくらかの賃金を貰い生活していた。漁師がアル中、チーフがホームレスで、臨時雇いの助手が高校出たてのプーと米兵2世というのだからユニークなチームだ。
       ◇ 
 そんなわけで、頻繁にアル中漁師の手伝いに駆り出されることになった二人は出漁するたびに漁の面白さ、奥深さを教わることになった。二人とも釣りの覚え初めだったので、色んな魚の釣り方を実地に教わり、バイト代も貰えるとあって真面目に働いた。
       ◇
 しばらく釣果の乏しい日が続いたことがあった。その日もほとんど釣れず、最後に見回ったかなり沖合の定置網に大量に獲物がかかっていた。じゃんじゃん網を取り込んでいると、顔にぽつりと雨の滴が・・・。こんな時に限って海が荒れてきた。うねりが出て、船がひどく揺れている。周りの船は一艘、また一艘と帰っていく。
「船長、みんなどんどん引き返してるよ。うちらは帰らないの?」とM。
「この船はな・・・その辺の漁船と違って・・・あー・・・船底を下に長く改良してあんだ。だから、揺れても・・・起きあがり小法師の要領でバランスとれんだ。」
と言ってるオヤジの口調はロレツが回っておらず、ベロベロに酔っている。ともかく、今の網を上げ終えたら、すぐに引き返そうとMとJは決めた。
 網をしまい終えた時、二人は自分たちが取り返しのつかない判断ミスをしたことに気づいた。波で船が持ち上げられて一番上に上がったときと、下に下がった時とで高さの違いが何メートルもある。沈んだ時は周りに波で壁ができていて今にも飲み込まれてしまいそうだし、持ち上がった時には周りが見えるのだが、大雨で視界が効かない。いくら改良した漁船といっても大波を横っ面に喰らったら簡単に転覆してしまう。その日に限って体調不良を理由に来なかったチーフを恨みながらMは「死ぬかもな」とリアルに思った。
 二人で甲板を這うようにして進み、船室でつぶれているオヤジを起こすと、目を開けるなりその顔に緊張が走った。
「帰るぞ」
オヤジは急にしゃっきり背筋を伸ばして、いつになくテキパキ動き始めた。
 いつもなら行きはオヤジが操縦して、帰りはJの担当なのだが、この時ばかりは、「おまえじゃ無理だ。二人とも座ってちゃんとつかまってろ」とオヤジが舵を握った。
 オヤジはひっきりなしに襲い来る高波に船の船首を向けて乗り越えるという技を繰り返し、無事に港へ帰りついた。MもJも疲労困憊していたのと危うく死ぬところだったというショックでほとんど話もせず家に帰った。その日のことがトラウマになってオヤジの船からは足が遠退いてしまった。
        ◇
 それから一年ほど経って、MとJの間でオヤジの話になり、今どうしてるかと件の漁港に会いに行った。漁師たちにオヤジのことを訊くと、「アル中で死んだ」と言われた。廃車のホームレスももういなかった。
 MもJも漁師にはならなかった。

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