短編小説

ブリトーの歴史

 

Burrito_2 駅裏の寂れた場所でつぶれたサンクスを改装してオープンしたばかりのローソン。立地が悪いだけにローソンも気合いが入っている。店員の接客、態度が丁寧至極で少々うざいぐらいの店。 
 そこでブリトーを買った。
「温めて下さい」
「包装を少し切らせて頂きます」
「はい。」
 そんなの断らなくていいって、おれ殿様じゃないんだから。
「ポイントガードはお持ちですか?」
「ないです。」
「お作りすることも…」
「いいです」
 これは朝の通勤時間帯は訊かなくていいと思う。
 金を払って店を出る。
 歩きながらブリトーを頬張る。ソーセージがイマイチ温まってない。ぬるいブリトーほど食欲をそそらないものはない。時計を見ると、時間にはまだ余裕がある。
 おれは来た道を引き返しながらどう文句を言おうか、頭をフルスロットルさせてシミュレーションする。
        ◇
「おれもさ、チンピラじゃないから温め不足とかで怒りたくないんだけどよ。おにぎりとか総菜パンとは話が違うんだわ。ブリトーなんだからよ。」
「す、すみません。もう一度温め直します」
店員がブリトーを取ろうとする手をピシャリと叩く。
「んー、おまえさ、そもそもブリトーがどういう食べ物か知ってんの?コンビニの研修では教わらなかった?(教えねーよ、そんなの)」
「・・・詳しくは知りません」
 他のバイトが遠巻きにこっちの様子を伺っている。
「ブリトーってのはさ、もともとメキシコの炭鉱労働者が過酷な労働の合間に手っ取り早く腹を満たすための弁当だったわけだ。日本でいうおにぎりみたいなもんだ。で、炭鉱の掘削現場って深くて湿気がひどくて夏でもひんやり寒いんだ。鍾乳洞入ったことあればわかるだろ?体がめっぽう冷えんだよ。」
「は、はい」
「な、だからブリトーってんだよ」
「・・・は?」
「ブリトーってのはスペイン語で懐炉(かいろ)って意味なんだ。後はわかるな?」
「い、いえ、どういう意味ですか?」
「はぁー(深いため息)。一を聞いて一しかわかんねえ奴だな、おまえも。炭鉱に入る前に地上で出店のおばちゃんが出来たてホヤホヤのブリトーを生地に包んで売ってくれるんだ。それを懐に忍ばせて現場まで降りていくわけだ。で、昼休みにその包みを開けて生地にかぶりつくと中からまだ暖かいインゲン豆やら挽肉やらがチーズのとろけるのと合わせて口に入ってくるわけだ。吐く息が白くなるような寒い現場でだ。それがうまくないわけないだろーが!」
「な、なるほど」
「で、冷えた体を温めて、また午後からのキツい作業を頑張ろうって元気を出したんだよ。だから、冷たいブリトーってのはな、ピアノが弾けないピアニストとかクリープを入れないコーヒーみてえにもう存在意義がまるでないウンコみたいなもんなんだよ!」
「ぼくはコーヒーはブラックが好・・・」
「おまえのコーヒーの好みなんて訊いてねんだよ!」
 店員の胸ぐらをつかみかかったおれを奥から出てきた店長が慌てて止める。
「お客さん、よくわかりました。今日のところはこれで勘弁してください。」
 おれの手に千円分のQUOカード(コンビニで仕えるプリペイドカード)が渡された。
「ちゃんと商品知識ぐらい教えといたれや」
「はっ、大変失礼いたしました。」
 入り口付近にいた店員が素早く道を空けて頭を下げる。
「ありがとうございました!」
「おう」 
 (しかし、これじゃチンピラ以外の何者でもないな)
       ◇
 まあ、こんな感じでいこう。急ごしらえにしてはシナリオは完璧だ。ブリトーのうんちくはもちろん口から出任せだが、勢いよくたたみ掛ければ誰も疑うまい。
 ローソンに入る。さっきの店員が、あれ?という顔をしつつもさっきと寸分違わぬ調子で言った。
「らっしゃいませぇー、こんにちわー」
「おぅ、にいちゃんよ、おれもさ、チンピラじゃないから温め不足とかで怒りたくないんだけどよ。おにぎりとか総菜パンとは話が違うんだわ。ブリトーなんだからよ。」
「あ、すみません。すぐに温め直します。」
 店員がブリトーを取ろうとする手をピシャリと叩く。
「んーと、おまえそもそもブリトーってどういう意味か知ってっか?」
「えと、確かスペイン語で“小さなロバ”って意味ですよね。理由は細く巻いたトルティーヤがロバの耳に似ているからとも、ロバがよく背中に積んでいた毛布に似ているからとも、諸説あるみたいですけど。すみません、あやふやで。」
「・・・おまえ、なんでそんなに詳しいの?」
「父親が貿易関係の仕事してて向こうに家族で住んでたことがあったんです。ブリトーはもういやというほど食べましたからね。」
「そっか。なら・・・温めてくれ」
「はい。少々お待ち下さい」
 レンジが鳴るまでの間、おれはレジ近くに置いてあるごま団子の成分表示をさも興味ありげに見ることしかできなかった。

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サタンの力

「音の出なくなったコンポ、ラジカセ、テレビ、映らなくても結構です。そのほか自転車、バイク、なんでも結構です。ご不要になった品物を無料で引き取らせていただきます。また、わからないことがあればご質問ください・・・」
 廃品回収の車から流れる舌っ足らずな女の声で目が覚めた。まどろみから目覚めたツクルが最初に目にしたのは、枕の上にできた楕円形のシミだった。起き上がると唾液が細い糸を引いて切れた。
  ベランダに出ると、コンクリが日に焼けてめっぽう熱い。真夏の紫外線が坊主頭にじりじり染みる。
  冷蔵庫から麦茶の紙パックを取り出し、そのまま口をつけて飲む。汗ばんだ首筋を麦茶が伝い落ちるままテレビのスイッチを入れる。失業中で暇なのだ。テレビを見ると言っても、決して楽しんで見ているわけではない。液晶画面越しに毎日飽くことなく繰り返される芸も能もない人たちの痴態を眺めているだけだ。暇潰しにすらならないことに気づいて、テレビを消した時、チャイムが鳴った。
 魚眼レンズ越しに女が二人立っているのが見える。玄関前の通路は北西に向いていて薄暗く、女たちの風体はよくわからない。
「なんでしょう?」ドア越しに訊いた。
「お休みのところ申し訳ございません」
まず名を名乗れっちゅうんじゃ。
「どなたですか?」
少し強い口調で言ったのだが、相手はツクルの言葉を無視して話し始めた。
「最近、世界規模で新型インフルエンザが猛威を振るってますね」
「はあ」
「イスラム諸国では自爆テロや紛争で毎日のように大勢の方が亡くなられてます」
「ええ」
「こういったことについてどのようにお考えでしょうか?」
「・・・」
 ははーん。ツクルは顎の無精ヒゲを撫でながらほくそ笑んだ。まず十中八、九、新興宗教の勧誘に違いない。が、失業中のヒマ人にとっては平素ならやっかいな訪問者も貴重な暇潰しの相手になる。ツクル自身は完全に無宗教だが、カルトに引っかかってしまう人間の病理には前々から興味があった。
「ちょっと待ってください」
  トランクス一丁だったので、その辺に脱ぎ散らかしてあったTシャツとショートパンツを着てドアを開けた。
「こんにちわ」女たちが声を揃えて言ったのと同時に、コンクリートの通路を通った冷気が部屋の中に吹き込んできた。
  手前に五十前後のおばさんが立っている。レースの刺繍が入ったブラウスのボタンは一番上まで留めてある。ハンドバッグも帽子も全てが白かオフホワイトで頭から爪先まで色らしい色がない。一歩引いたところで立っている二十代の女も似たような格好だった。二人ともどことなく面立ちが似ている。若い女はツクルと目が合うと微笑んだ。
「お休みのところすみません。今、お時間よろしいでしょうか」おばさんが言った。
「いいですよ」
「新型インフルエンザ、大変なことになってますよね」
「ええ、まあ」
「それだけじゃありませんね。世界各地で戦争や民族紛争が続いています。地球温暖化も一刻の猶予もないところまで来ています。このような世の中の状況についてどのようにお考えでしょうか」
  しかし、いきなり深いトコ突いてくるなぁ・・・。
  後ろの若い女はどうも見習い中のようで、話に参加する様子はなく、背筋を伸ばして立っている。年頃の女にありがちな浮ついたところがなく、持続可能な皇室スマイルを浮かべて。
「どのようにって言われても・・・ま、よくそういう悪い要素ばかり取り上げて、世も末だとか、今に取り返しのつかないことになるって、不安を煽るような報道がされますけど、ぼくは全然悲観してないですよね。昔から大災害や戦争はあったけど、何とか乗り越えてきたじゃないですか。大体ね、地球なんて二度の全球凍結をくぐり抜けてるんだからもう怖いモノなんてないですよ。いいことも悪いこともあるんじゃないですか、いつの時代にも」
あらまあといった顔でおばさんは目をしばたたかせた。ツクルは続けた。
「仮にね、万が一、世の中が上を下への大騒ぎになったりしても、今ぼくは三十過ぎて失業中だし、このままいくとワーキングプアで完全な負け組なんですよ。だから、不謹慎かもしれないけど、むしろ世界の秩序が混乱してくれた方が浮かび上がれるチャンスができるかも、なんて思ってるぐらいなんです」
おばさんは笑みを絶やさない。
「・・・なるほど。でも、世の中もう少し暮らしやすくならないかな、とか、もっと平和になったらいいのに、なんて思うことはありませんか」
若い女の後ろで隣の部屋のドアがわずかに開いた。隙間から怪訝な目つきで様子を窺っている住人が見えた。ドアはすぐに閉まった。独身の老婆で何かと口うるさい要注意人物なのだ。ドアには「訪問販売・セールスお断り」と朱書きされたプレートが貼ってある。
「それはもちろんありますよ。ぼくだって決して今の世の中が素晴らしいと思ってるわけじゃないですから」
おばさんは満足そうに頷いた。
「そう、そうなんですよね。みなさんそうだと思うんです。一体どうしてこんな世の中になってしまったんだろうって思ってらっしゃるはずなんです。ところが、世の中がこんな風に大変な状況になることは、今から二千年も前に聖書の中で予言されてたんです」
おばさんはハンドバッグの中から手のひらサイズの冊子を取り出すと、ページをめくった。
それとなく覗き込むと、無数のアンダーラインや書き込みがされており、そんな箇所が多すぎてマーカーの効果のほども怪しいといった有様。
「ちょっと読ませて頂きます。『世界に争いが満ち、疫病が蔓延し、不正が横行する。人々は希望を無くし、自ら命を断つ者も至る所に現れるであろう。金が至上の価値を持ち、それに振り回されて最も大切なものを見失う』・・・この記述についてはどう思われますか?」
ツクルは苦笑した。抽象的過ぎていつの時代にも当てはまるような内容だからだ。
「どう思われますかって言われても・・・解釈の問題ですよね。それが今の世相を正確に言い当てているかは何とも言えませんけど、そうやってまだ起きていないことを『観て』しまうサイキックな人っていうのはいると思いますよ」
女たちは示し合わせたようなタイミングで頭を下げた。
「ありがとうございます」
ツクルはなんで礼を言われたのかわからなかった。
「そもそもぼくはそんなに今の世の中が悪いことばかりだとは思わないんです。今、災厄だと思われていることが後になってみたら、逆に起きて良かったなんてこともあるんじゃないですか?時間の流れの中で複雑に絡まりあって起こる出来事を個別につまみ上げて善悪を論じるのはナンセンスだと思うんです」
おばさんは何も聞かなかったような顔で言う。
「こうした世界の惨状について、名だたる宗教団体の指導者たちは、『それも人智を超えた神の計らいによる試練だ』なんてもっともらしく諭してきました。でもそれは大きな間違いです。というのは、そもそも彼らの認識の大前提が間違ってるんです。ここにちゃんと書いてあります。『・・・この世界全土にあまねくはびこり、人心を惑わす。その名をサタンと呼ぶ』」
おばさんはドヤ顔でツクルを見た。どう?これが世の中で起きていることの真相なのよ、と言わんばかりだ。涼しい顔で反論を黙殺する態度も恐いが、現代に生きながらサタンの存在を確信している神経に驚いてしまう。
「そうなんです。世界を支配しているのは実は全能の神ではなくて、悪魔、サタンの方だったんです」
  中庭からセミの大合唱が聴こえてくる。おばさんが後ろを振り返った。若い女が慌てて持っていた冊子をパラパラとめくった。廊下からベランダへ風が吹き抜けた。窓際のカーテンレールに吊してある金管のウィンドチャイムが鳴った。
「・・・たとえば、風が吹くと風そのものは目に見えなくても、カーテンが揺れたり、木々がそよいだりして風というものが確かにあることがわかりますよね。それと同じなんです。サタンそのものの姿は見えなくても、世の中の惨状を見れば、確かにサタンが陰で糸を引いていることがわかります。だって、もし本当に全知全能の神が支配していたら、こんな救いのない世界にしておくはずがないじゃありませんか」
おばさんは暗黒の世界について説いている割には快活で目は輝いてさえいる。声を聴かずに姿だけ見ていれば、福音を伝えるまともな伝道者に見えなくもない。手で押さえていたドアが閉まりそうになって、崩れかけた姿勢を立て直した。片足に重心をおいた不自然な姿勢で立っていて、足腰が疲れている。それにしても、悪魔が支配しているとは聞き捨てならない。
「ちょっと待ってくださいよ。今、悪魔が世界を牛耳ってるって言いましたよね。でも、悪魔が支配してる世界にしては随分ぬるくないですか?けっこう平和ですよね、ここらへんなんか。昨日は町中で阿波踊りして浮かれまくってましたよ。もし、ぼくがサタンだったら、最初の六日間で破壊の限りを尽くして人間に必要なものは根こそぎ奪い去って、七日目にはさっさと悪の帝国を作りますけどね」
おばさんは頬を引きつらせて笑った。若い方は相変わらず皇室スマイルを崩さない。風が吹いて若い女の黒髪がなびいた。艶のある美しい髪だ。年頃の女子がこんなところで新興宗教の布教を手伝っているのが急に不憫に思えた。
「・・・それは、地球も広いですから場所によってはね・・・。日本はかなり恵まれてる方ですから。でも中東の方では毎日のように自爆テロが行われて、血で血を洗うような抗争があってまさに地獄絵図でしょう。日本にしたって自殺者が毎年三万人出るんですよ。これだけ豊かな国で単純計算で毎日八十人近くが自殺するんですよ、毎日毎日」
「・・・確かにね、表向きだけ見てもそこに暮らす人の幸不幸はわからないですけどね」
「ありがとうございます」
女たちはまたぺこりと頭を下げた。ツクルはやっと女たちがなんで礼を言っているのかわかった。日頃、話を聞くことはおろか、滅多に自分たちの意見に同調されない彼女たちにしてみれば、ちゃんと自分たちの言い分を聞き、時には共感してくれるのがよほどありがたく感じられるのだろう。 
  部屋の中を振り返り、壁掛け時計を見た。相手がまっとうな返答を寄こさず、すぐに曲解した聖書の引用で応酬してくるのがだんだん鬱陶しくなっていた。真面目な討論であればまだしも、一方的にイカれた人間の話を聞くのはしんどいものだ。
「・・・百歩譲って、その聖書の解釈が正しいとしてですよ。じゃ、そんな悪魔の支配する世界でぼくらはどんなふうに生きていけばいいんですか?」
「そうなんです。そこですよね。・・・でも、また続きも長くなりますので、よろしければこちらの冊子をお読み下さい。今日お話しした箇所は十一章に書いてありますので」
おばさんはハンドバッグの中から真新しい冊子を取り出すとツクルに手渡した。表紙には黒人、白人、ヒスパニック、アフリカ系、東洋人などあらゆる人々が花咲き乱れる丘で楽器を演奏したり、食事をしたりして和んでいる様子が劇画タッチで描かれている。
「ゆかりさん、集会案内持ってらっしゃる?」
若い女がバッグから紙を取り出してツクルに渡した。非信者も参加できる定例会の案内だった。
「いつも日曜日はご在宅ですか?」
あ、また来る気なんだ。
「いやー、半々ぐらいですかね」
本当はいつも部屋でゴロゴロしているのだが、そうそう頻繁に相手をしたくはない。話のネタにするにはもう充分すぎるほど話したのだ。
「今日は本当にお付き合い頂いてありがとうございました」
ええ、少し後悔してます。
「いいえ、どういたしまして」
ドアを閉めようとした時、背中を向けたおばさんの肩に何かが飛んできた。近くで鳴いていた蝉だった。
「あ、蝉が」
「え、え、どこかしら、ちょっと」
おばさんは急に取り乱して手で背中をやたらに払ったが、蝉はじっと肩口に止まっていて、あんまり動きがないのでブローチか何かのように見えた。ツクルはおばさんが気を動転させているのがおかしくてあえて助けようとはしなかった。おばさんが首を後ろにひねった時、肩にとまっている蝉に触れるほど顔が近づいた。おばさんは一瞬固まったが、目の前にあるものが蝉そのものであることに気づくと、飛び上がるようにして蝉を手で払った。
「もう、イヤ!」
コンクリの上でひっくり返った蝉がビビッと電子音っぽい音を立ててもがいた。間髪入れずおばさんのヒールが蝉を踏みつけた。何度も何度も。胴体から黄土色の体液が飛び出し、割けた羽根が散らばった。
「ちょ、ちょっと、人んちの玄関先を汚さないでくださいよ!」
「あ、ごめんなさい。でも・・・どうしましょう」
若い女が黙ってセカンドバックからポケットティッシュを取り出し、数枚重ねて死骸を取り除いた。
「これで大丈夫ですか?」
蝉の体液が染みとなって残ってはいるが、それは仕方がない。
「ええ。あ、それ、捨てておきますから」
女からティッシュの塊を受け取った。
「それではこれで失礼します」
おばさんが言うと、二人は来たときと同じように微笑みながら帰っていった。
  ツクルは言いようのない疲労感を覚えてベランダに出た。一体何をどうしたらサタンが世界を支配しているなどという幼稚な世界観を受け入れてしまえるのだろうか。新興宗教の信者になるような人は実生活でひどい災難や不運に見舞われた人が多いというが、そんなことでもないと受け入れ難い考えだ。
       ◇
 夜になって親しい女友達のマユミに電話をかけた。マユミは元職場の同僚で、SMクラブで働いていた経験がある変わり者だ。世の中を斜に構えて見て、いつも暇つぶしの種を探しているようなところがツクルに似ている。ツクルがマユミに電話をかけたのは、最後に会った時にこんな話を聞かされたからだった。
                ◇
 マユミが使っているのと同型の携帯が爆発する事故が海外であった。メーカー側の調査では爆発に至るような欠陥は把握できず、メーカー側に落ち度はなかったらしいのだが、万が一を恐れた携帯会社の担当者が電話をかけてきたという。
「・・・というような経緯がありまして、携帯電話自体に不具合は見つかりませんでしたが、万が一があっては困りますので、念のため機種変更をお願いしたいのですが」
「ば、爆発?穏やかじゃないですね。でも、あいにく機種変更するようなお金がないんです」
「いえ、もちろん私どもの都合で変えさせていただくわけですから、費用はこちらで負担させて頂きます。」
「でも、使い慣れてるし、面倒なんですよね。携帯ショップとか行くのも」
「それでしたら、こちらから担当者を伺わせますし、すぐにご使用になれるよう手配いたします。」
「至れり尽くせりですね。でも、この携帯が気に入ってるんです。それにいつ爆発するかわからない携帯持ってるってなんかある意味、ロックっていうかパンクですよね。かっこよくないですか?」
「・・・お客様に万が一のことがあっては困ります」
「その”お客様”が構わないって言ってるんです。どうせこの会話録音されてるんですよね。私、横田マユミは爆発する可能性を承知の上で、自分の自由意志によってこの電話を使い続けることをここに誓います。以上」
そう言ってマユミは電話を切った。もちろん実際に爆発するような事があっては先方も困るから、その後も電話はかかってきたらしいが、ことごとく無視したとか。
  ある日そんなマユミが帰宅すると、ポストに携帯会社の封筒が入っていた。わざわざ訪ねてきたらしい。付箋紙が貼り付けてあり、「何卒機種変更について前向きにご検討頂けますよう重ねてお願い申し上げます」と書かれていた。マユミはそれすら無視し、今日に至るまでほとんど意地になってその携帯を使い続けているという物好きな女なのだ。そのマユミならあの狂信者にどう対処するだろうか。それが訊きたかった。
       ◇
「久しぶり、元気?どうしたの?」
「どうしたってほどのことでもないんだけど、昼間さ、宗教関係の人が来て・・・」
ツクルは一連のやりとりをマユミに話して聞かせた。
 マユミはケタケタと毒気のある笑い声を立てた。何ヶ月も見ていない無邪気な笑顔が脳裏に浮かんだ。
「サタンの仕業だって言われた後でさ、『どうしておれがサタンだってわかったんだ?』って言ったら、どうなったんだろうね」
ツクルは件の信者を前にして、自分が精一杯深刻な顔でそのセリフを言ったらどうだろうかと妄想した。
「あはははは。それ、いいね。頂き。最高の切り返し方だよ。おれ、まっとうに話してたんだけど、ああいう人たちって教団の教えが絶対で自分の頭で考える習慣がないからさ、話はぐらかしてすぐ聖書の引用とかに話を戻しちゃうわけ。全然ディベートにならないんだよね」
「そりゃそうだよ。だって明らかに言ってることオカシイじゃん。目には目を、狂気には狂気を、だよ」
 ツクルは、奴らが次に来た時に是非それを使ってみようと思ってほくそ笑んだ。
       ◇
 当日は思いのほか早く来た。一週間後の日曜、また奴らがやってきたのだ。
「ごめんください」
「どなたですか?」
「先日はどうもお時間頂きまして。冊子の方はお読み頂けましたか?」
また名乗らない。今度は魚眼レンズ越しに見る二人がカモネギに見えた。笑いそうになるのをこらえてドアを開ける。
「どもども。読みましたよ。ざっくりですけど、斜め読みぐらいの感じで」
「では一般に広く普及している聖書の誤った解釈についてはもうご存じですよね」
教団側からすると、カソリックやプロテスタントといったメジャーなキリスト教の教えこそ、聖書を曲解しているというのだ。
「あの、信じるかどうかは別にして、あなた方の解釈がどういうものかというのはわかりました。」
「ありがとうございます。」
女たちは揃って頭を下げた。
「ただ・・・一つだけ解せないことがあるんです。」
そこでツクルはもったいぶって、眉間に皺を寄せて黙り込んだ。おばさんがツクルの顔を下から覗き込んだ。
「なんでしょう?ご不明な点があれば何なりとおっしゃってください。」
ツクルはおばさんを睨みつつ、出来得る限り凄みを利かせて言った。
「・・・どうしておれがサタンだとわかった?」
ウィンドチャイムがカランコロンと鳴った。遠くで幼児の泣き声が聞こえる。女たちはしばらく時間が止まったかのように動きを止めている。体の動きだけでなく、顔の表情、心臓の鼓動まで停止しているような案配だった。女たちは目をまん丸に見開いてツクルをしげしげと見つめた。
  おばさんは若い女の方を向くと、何度か頷いた。
 ツクルの脇の下を冷たい滴が伝った。
 おばさんが若い女の手を引いて無言で立ち去った。
 ツクルは女たちがいなくなるとドアを閉めた。締めた途端、腹の底から気泡が湧きあがるように笑いが込み上げてきて止まらない。ついにこらえきれなくなって声を上げて爆笑した。恐いような、おかしいような、そのいずれもが渾然一体となった気分だった。
「ざまあみろ。一撃で葬り去ってやったわ。このサタンを倒そうなどとは笑止千万よ」
 その日の晩、マユミに事の顛末を話して聞かせるために出掛けようとした時だった。ドアノブを回し、部屋を出ようとしたらドアに思いきり頭がぶつかった。ツクルは額を押さえながら鍵を外し忘れていたのかと思ったが、そもそも家にいるときに鍵を掛ける習慣はないのだった。再びノブを回してみた。確かにノブは回っているのだが、ドアが開かない。押せばわずかに隙間は開くのだが、微妙に反発する手応えがあり、それ以上開かない。まるで外から誰かが押さえているかのようだ。しかし、魚眼レンズから覗いても玄関先には誰もいない。ツクルは仕方なくシンクの上から身を屈めて裸足でキッチンの小窓をくぐり、裸足で外の通路に飛び降りた。
 玄関先に回り込んだ時、ドアの上から十字型にガムテープが貼り付けられ、壁面に留められているのが見えた。数秒間、呆然と立ち尽くしてから、ガムテープをはがし始めた。布製のガムテープでべったりと貼り付けられていて、テープを剥がすと表面のアイボリーの塗装まで一緒に剥がれた。結果、テープをすっかり剥がし終えた時にはドアにくっきりと十字型の痕跡が残ってしまった。解約するときに敷金の戻りが悪くなることを考えると、腹が立った。ガムテープを丸めながら部屋の中に入ろうとした時、階段の下からザッザッザッと大勢が上がってくる音が聞こえた。

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特異体質

 もてない男がお見合いパーティーに参加することになった。会場に着いて、くじ引きで決まった席に向かうと、向かいの席に目の醒めるような美人がやってきた。
 男はその瞬間、雷に打たれたかのように一目惚れしてしまった。

「いやぁ、高い会費を払って来た甲斐がありました。あなたのように美しい女性と同じテーブルを囲めるなんて本当に光栄です」

男は手のひらをズボンで拭うと、女に差し出した。
女は顔を赤らめて俯いた。

「私、ちょっと手がヌルヌルしてるんで・・・」

「ははは、多汗症ですか。私も汗かきですから全然気にしませんよ」

男はそれぐらいのことで赤面してしまう女のことを益々好ましく思った。

「いいえ、本当にダメなんです」

女はかたくなに握手を拒む。

「あなたは今時なんて奥ゆかしい人なんだ。誰も手汗なんて気にしませんよ、ははは」

男は強引に女の手をとった。
途端に男の口が半開きになる。
二人が握り合わせた手の間からジョッキ一杯分ほどのゲル状の物体が床に落ちた。

ベチャ Photo

 

唖然として棒立ちになっている男に、女は言った。

「私、手からこんな分泌物が絶え間なく出てくる奇病なんです。こんな女、誰だって嫌ですよね…」

女が嘘をついていない証拠に、その足下には浜辺に打ち上げられたクラゲのように分泌物のかたまりがいくつも落ちている。

Photo_2

「…ちょっとぼくに時間を下さい」

男は力なく肩を落とした女の傍らで、いまだかつてこれほど想像力を使ったことはないというぐらい懸命に彼女との結婚生活をイメージした。

「はい、おかわり」と渡される茶碗がヌルヌル。

抱擁するたびに服がヌルヌル。

炒め物には水溶き片栗粉を使わなくても常にとろみがついている。

新聞や本のページがくっついて読めない。

家電製品やパソコンが故障する。

よく乾いた洗濯物がたたむそばから濡れていく。

子供がいじめられる…etc.

そうして生活上の困難を考え得る限り詳細に想像した。
やがて男は意を決して言った。

「ぼ、ぼくは大丈夫です。そんなところも含めてあなたの個性なんですから」

女の目から涙がこぼれた。

 男の熱意に打たれて話はトントン拍子に進んだ。エンゲージリングがはめたそばからずり落ちたが、男は正式にプロポーズし、女の母親に会うことになった。

「母は高齢のためにもう視力がほとんどないの」

家に入ると、車椅子に乗った母親が出迎えてくれた。
母親は二人のそばまで来て言った。

「お婿さんがどんな人だか、私に見せておくれ」

母親は両手を前に差し出し、男に触れようとした。

「ちょっとお母さん、失礼よ」
「いや、いいんだ。お義母さんに少しでもぼくのことを知って欲しいんだよ」

男は自分の顔を義母の前に差し出した。彼女の両手が男の顔を撫で回した。

「ああ、この人はいい人だよ。あたしゃ、目が利かなくなってから触っただけで何でもわかるんだ」

やがて母親の気が済むと、男はヌルヌルになった顔で言った。

「アンタもか・・・」

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秘かな告白

「じゃ、おつかれー」

土井健一は、仕事を終えて駅へ向かう同僚と別れると、オフィスビルの地下駐車場へ続く階段を駆け下りた。タイムカードを押した時からクソがしたかったのに、同僚から長い愚痴を聞かされ、その間ずっと我慢していたのだ。階段を下りたところにあるトイレは、他のフロアと違って滅多に人が入らず落ち着いて用を足すことが出来るので、大の時はいつもここを利用することにしている。

 すっきりしてトイレットペーパーを巻き取っていると、ほんの30センチ使ったところで紙が途切れた。最後までなくなったのか確かめようとペーパーホルダーのフードを開けると、やはり紙切れだった。わずかな紙を大事に使った後で、腹立ち紛れに芯を叩いたら、芯の中のバーもろとも床に落ちてしまった。
 バーを拾ってはめ込もうとした時、健一は妙なものを見つけた。ホルダーのフレームが固定されている壁に、シャーペンの細い字でこう書かれている。

“吉田真由美を会社で犯してしまった”

健一はその落書きをしばらく凝視してから首を傾げた。
 落書きというのは普通、人に見せるために書くものだ。たとえ相愛傘や下ネタのように、メッセージ性の低い落書きであっても、書いた人間は必ずそれが人目に触れることを想定している。そうやって自分の存在や考えを世間に知らしめたいのだ。ヒマを持て余し、社会から顧みられない人間ほど落書きをしたがるのはそういう理由による。もしその落書きが自分以外の人の目に触れないとわかっていたら、心の中でつぶやくのと何ら変わりはない。誰がそんな無意味なことに労力を使うだろうか。
 だから健一はそれをただの落書きだとは思わなかった。ペーパーが固定されている間は、つまり通常は、トイレの利用者から見えない位置にあり、ペーパーが切れてホルダーバーを外した時だけ人目に触れるようになっているからだ。それにしても、なぜこんな人目に触れにくい場所に書いたのだろう、しかもマジックでなく、消えやすいシャーペンで。

 健一はこう推理した。このオフィスビルに勤める誰かが、職場の同僚の吉田真由美を深夜残業時かなにかにレイプした。男が女の上司だったとか、女が精神的に参ってしまい警察に届け出なかったなどの理由で事件は表沙汰にはならなかった。しかし、レイプした男はその秘密を自分の胸にしまっておくことができなかった。警察に自首するようなつもりはなくとも、誰かに言いたいという衝動を抑えきれなかったのだろう。「王様の耳はロバの耳」のような話だ。被害者も加害者もごく身近にいる。おそらくこのオフィスビルのどこかの会社に勤めているはずだ。それが健一の読みだった。

 次の日から健一の吉田真由美探しが始まった。こうしている間にも被害者は誰にも言えない心の傷を抱え、地獄のような日々を送っているかもしれない。そう考えると、健一は自分が助けてやらねばと燃えてきた。といっても内容が内容だけに、表だって名前を公表するような探し方はできないので、まず被害者のプロファイリングから始めることにした。
 それにしたって姓も名も実に平凡で年齢も容姿もまるでわからない。ただレイプ事件の被害者だということしか手がかりしかない。一体、吉田真由美とはどんな女なのだろう。健一は考え込んだ。

 巨乳ないしスタイルが良く、男を無意識のうちに誘惑してしまうような、いわゆる“男好きのする”女?

 若く美しい女?

 露出度の高い服装をした女?

 獣の柄の服や靴、カバンを身につける女?

 メガネをかけた女?

 健一はAVでもレイプものが大嫌いなので、レイピストがどんな女をターゲットに選ぶかがわからなかった。そこで同僚の中でも最も性欲の処理に困っていそうな部下に訊いてみることにした。

「なあ、北野、お前もし罪に問われないとしたら、どんな女を犯したい?」

北野は会社のシステム管理者でパソコンオタク。ために休日も部屋でネットばかりしていて彼女いない歴=年齢という男だ。ファイル共有ソフトで落としたエロ動画だけで新品のハードディスク250GBが即満杯になったというのは職場では有名な話だった。

「土井さん、いきなり何てこと訊くんですか」と面食らいながらも、北野は嬉しそうに言った。

「そうですねぇ。ツンと澄ましてる高飛車な女がいいですね。仕事なんかヘタな男よりできちゃって男からすればちょっといけ好かない女。プライドが高くて、職場の飲み会なんか行かないような。それでいて無茶苦茶美人でナイスバディーなんですよ、それこそ女王蜂のようなメリハリのある体で・・・」

「ありがとう。もういいや。なんかありきたりだなぁ。AVの見過ぎじゃないのか?コンプレックスも男の支配欲も丸出しだって」

北野はいくらかオチたようだった。

「ウソウソ。気にするなよ。やっぱりそれが大方の男のロマンなのかなあ。小さいなぁ、男。」

健一はいつか見たレイプもののAVで男優が、「男をなめんじゃねえ!」と女優を罵倒しながら激しく腰を使っていたシーンを思い出した。

 トイレの一件以来、健一は機会があるたびに周囲の人間に似たような質問をしたが、捜査は一向に進展しなかった。そこで新しい視点を取り入れるために、女にも訊いてみることにした。ごく親しい友人の女に事の顛末を話して聞かせた。

「まず、ビルの中に勤めてる人じゃないよね、犯人は。」

話を聞き終わるとすぐに彼女は言った。

「ふーん。それはどうして?」

腕組みをしてここではないどこかを見つめながら彼女は言った。

「だって、そのトイレはビルの地下駐車場から1階に上がってくる途中にあるんでしょ?自分のオフィスがビル内にあるなら、会社の同僚もそのトイレを使うことがあるじゃない。筆跡とか職場の人間関係からすぐ犯人がバレちゃうでしょ」

「・・・なるほど、そりゃそうだ。じゃあ・・・一体、誰なんだ・・・」

健一の読みが甘かったことがわかり、捜査は暗礁に乗り上げた。

 トイレであの落書きを見てから、早3カ月が過ぎようとしていた。健一はもともと非常に飽きっぽい性格で一つのことに長時間集中できない性格なので、もうほとんど例のレイピスト探しのことは忘れかけていた。

 そんなある日のことだった。仕事帰りに件のトイレに立ち寄ると、入り口に清掃中の看板が置いてある。健一は、「すみません」と言いながら入ってしまった。

「どうぞどうぞ。床滑りますから気をつけて下さいね。」

 愛想のいい掃除のおばちゃんだった。緑のユニフォームを着て丁寧にモップを掛けている。

健一は沈黙が気詰まりになって話しかけた。

「おばちゃんさ、吉田真由美なんて人、知らないよね?」

そう聞くなり、彼女は弾かれたように顔を上げ、つかんでいたモップを床に落とした。健一も驚いて彼女を見返した。胸元につけられた名札に「吉田(真)」と書かれている。

健一は驚きの余りファスナーを閉めるのも忘れて、おばちゃんに駆け寄った。

「ひょっとしてあなたが吉田真由美さん?ずっとあなたを探してたんだ!」

思わず彼女の両肩をつかんでしまった健一。
 おばちゃんは年甲斐もなく顔を赤らめ、健一の股間をじっと見ている。健一は我に返り、慌ててファスナーを上げようとした。

「おしっこした後でも大丈夫よ、いいのよ、うちは。」

と言っておばちゃんの手がファスナーをつかむ健一の手に被さってきた。

「いいのよ、ってこっちは嫌なんだよ!放せ!」

おばちゃんはこの小さな体のどこからこれほどの力が、というほどの馬鹿力で健一を引きずると個室に入った。必至の抵抗を続ける健一におばちゃんは頭突きを見舞うと、勢いよく鍵を閉めた。

シャコーン

無情な響きがトイレ中にこだました。床に倒れ込む途中、狭まっていく視界の隅に例の落書きが見えた。

“吉田真由美は会社で犯してしまった”

 健一はこの期に及んでようやく自分の致命的なミスに気がついた。“を”と“は”を読み違えていたのだ。

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